[書評]『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』金谷武洋
カナダで25年間日本語を教えてきた著者が、私たちが学校で習った日本語文法の間違いや本当の姿を説く、という本です。どうしてもこの手の本を読むと「そうだよね!」と思うポイントと「いや、どうだろう」と思うポイントが出てきます。この本に関してもちょっと自分の考えをまとめることにしました。
■「そうだよね!」のポイント
英語と日本語の主語の扱い方を見ながら、文章を作る際の視点、そこから広がっていく思想の話は納得できました。たしかになあ。日本語の文章には「人」があまり出てきません。俵万智さんの短歌を引いていてわかりやすい。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいる暖かさ
この歌は2人出てきますが、向かい合っているというよりは同じ方向を向いていて「共視」をしている。日本語はこの構成が多いので、主語がなくても通じる、と。
「ある」という現象を伝えるときは人が主語にならなくていい。そのかわり英語では「する」という表現で文を作るのでしつこいほど主語が確認される。
「富士山が見えた」と日本人が文を作るところで、英語話者は「私が富士山を見た、見ることができた」という文を作るなど、ポイントがわかると自分が英文を作るときも参考になりそうです。
「は」と「が」の解説も、今までの文法解説より「なるほど」と納得することが多いものでした。「は」と「が」は性質がまったく違う助詞なんですね。
■「いや、どうだろう」のポイント
日本語は簡単!というのが、この本の肝でもあります。
たしかに音の少なさや基本文型の少なさは日本語学習者にとって負担が少ないと思います。
でもそれは、音が少ないおかげで当てはまる範囲がだだっ広く、話者が英語の「L」で言おうが「R」で言おうが喉の奥を鳴らすような「r」で言おうが、ネイティブが「ら行の何かを言いたいのだな」と推測しやすい=通じやすいということ。
また、日本語なら助詞のおかげで順序がめちゃくちゃでも文意が伝わります。どちらもネイティブが推測しやすい=「簡単に通じやすい」のであって「学習者が正確に再現しやすい」という簡単さではありません。そこが混同されているような気がします。
イントネーションもここに書かれているほど単純ではありません。苦労している学習者にはたくさん会いました。
たとえば「中国」というイントネーションは一応1つです。でもこれが「中国人」「中国語」など何か組み合わせたいときは(日本語話者はあまり気にしませんが)イントネーションが変わっています。意識して発音しないと、自然な日本語にはなりません。
中国語の「中国」はイントネーションが1つで、前後に何が来ても変わりません。それと比べて「ややこしい」という話はよく聞きました。日本語に高低差がないわけではなく、むしろ意識しないと習得が難しい。
あと、著者は「主語という考え方は明治以来の英文法をまねた弊害」「日本語は述語に主語を含んでいる」という考え方ですが、主語が文章に表れないことを「ない」と考えるか、「省略されている」と考えるかは意見が分かれるところだと思います。
たしかに「友達に会いました」で文や会話は成り立ちますが、会話している人同士で「誰が」を共有して思い浮かべるのなら、やっぱりどこかに主語が浮かんでいて、文章には表れていない「省略」が近いと感じます。
日本語の素晴らしさを説くあまり、英語が何度も主語を必要とする場面について「英語の悲鳴」とか「可哀想」という単語まで使ってしまうのはどうなんでしょうねえ。そこは「そういう文化で来たんだな」「こっちは違うけれど」という認識で十分です。
「そうだよね!」の部分を「いやどうだろう」が上回る印象。妙な敵対心が気になる箇所が多い本でした。
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