[インタビューズ]作家・ライター 奥野宣之さん 1/4
第5回は作家・ライターの奥野宣之さんにお話を聞きました。皆さんは『情報は1冊のノートにまとめなさい 』『歩くのがもっと楽しくなる 旅ノート・散歩ノートのつくりかた』などのノート本作家としてご存じかもしれません。でも、今回のテーマは「古墳」。
奥野さんのツイッターやフェイスブックをフォローしていると、古墳や遺跡からの出土品の話題がよく出てきます。そして奥野さんのコメントがいつも熱い。古墳愛たっぷりの言葉もあれば、憤りを含んだ鋭い意見もあり、いつもの情報ノウハウを説く奥野さんと何かが違う。……古墳には何があるの?
あえてノートではなく古墳に絞ってお話を聞きたいと思い、取材を申し込みました。「じゃあ、実際に行ってみましょう」と提案いただき、図らずも古墳ツアー(奥野さん解説つき)を組み込んだ贅沢なインタビューになりました。(全4回)
今城塚古墳ツアー 奥野流、古墳の楽しみ方
奥野さんが選んだのは大阪府高槻市にある今城塚古墳。長さ190mの前方後円墳で、誰でも墳丘に登ることができます。造営当初の濠や埴輪群が再現され2011年から公園になりました。入口で、奥野さんは虫除けスプレーを取り出してシュッシュッと噴霧。
「ヤブ蚊の巣なのでシャレにならないくらい来ますよ。ここはまだ整えられているからいいですけど、森は本当にやばいです」
私もスプレーをかけていざ古墳へ。敷地に入ると目の前に芝生が広がり、その先に木が生い茂った台地があります。芝生では子どもが遊んでいます。柵はないのですぐ古墳へ上がることができました。
「ここは学術的に継体天皇陵と考えられている、入れる古墳です。宮内庁が天皇陵と認定すると一般の人は立ち入れないのですが今城塚古墳は見学できます。明治期に隣の太田茶臼山古墳を継体陵として認定してしまったので、宮内庁はここを継体陵と認めていないんです」
おお、宮内庁が認定しないおかげで入ることができる貴重な天皇陵! 斜面を上がると、道と草むら、整備されたパネルが混在しています。乾いた砂ぼこりを立てつつ、踏みしめているこの地が「古墳の上」。感覚としては小山の上です。
「考古学の先生は、前方後円墳の端から端までまっすぐ歩けと言います。そうすると起伏で雄大さがわかるからです。ここと違ってほとんどの古墳は人が来ないのでケモノ道もありません。藪こぎしながら進むことが多いですね」
この古墳は道がありますが、道未満のところへも行けてしまう。図を見ると前方後円墳のくびれに耳のような出っ張り(造り出し)があるんですね。
「デザインはつくった時期によって微妙に違うんですよ。造形自体がよくできているものとそうでないものがあります。地震や戦乱で崩れたものもありますしね。堺にある土師ニサンザイ古墳はめちゃくちゃきれいですよ。最近、宮内庁がレーザーで測量したらビシッと完璧な形が出てきて驚きました。当時の土木技術レベルはかなり高いです」
そうか、古墳は人が石や土でつくる一大築造物。もとは更地だったかもしれない場所です。私は足もとを確認しながら歩いていました。
「僕たちが歩いている土は、間違いなく昔の人が運んだ土なんですよ。意図を持ってこれをつくった人が絶対います。『その人が何を考えていたのか』を想像しますね。周りの街並みは変わりますが墳丘に立ったときに見えるのは1500年前と同じ空でしょう。そこの斜面は急だから、きっとこの踊り場を歩いていたはずなんです。当時の人と同じものを見ている、いつもそれを感じ取ろうとします」
文献や知識から古墳を見るのではなく、現場に行って空気や音、匂いを受け取り、当時まで思いを馳せるのが奥野さんのスタイルですね。
「古代史で面白いのは、プロである学者とアマチュアの僕たちに決定的な差がないことなんです。通説といっても多くの人がそう思っているだけで確実な根拠がありません。邪馬台国がどこにあったかなんて、世界中の誰も知らない。知らないという点で平等なんです。新しい発見があれば共有して自由に仮説を立てていい。そこでああだこうだと考えるのは楽しいですよ。素人でもやれるかもしれない、という良さがあります」
墳丘から下って濠の周りを歩いてみました。散歩している年配のご夫婦や、一人でリュックを背負って歩いている若者が行き交います。休日でしたが人は多くありません。古墳巡りをしているとマニアに出会いますか?
「無言の挨拶を交わしますね。何となく認め合っている空気はあります」
ちらり、と先ほどすれ違った若者を見てしまいました。濠の周りは円筒埴輪が並んでいますね。
「これが何のためにあるのか、なぜ穴が交互にあるのか、どうして溝がついているか、意味がわからないでしょう。こういう謎が多すぎるんです。答えがないので無限に考えられます。考えたことに誰も○×をつけられません。自由度が高いですよ」
あっ、埴輪が並んでいるスペースがあります! 馬や人物、ムラを摸した埴輪群は中国の兵馬俑に似ているかも。
「埴輪は埋まっていたわけではなくて、こうやってむき出しになっていました。『墓を守るために置いた』というのは今の常識で考えた答えなので、本当は守っていたかどうかもわかりません。武人はそうかなと思いますけど、小鳥とかカモはどうなんでしょうね」
たしかにみんな、ちょっと可愛らしい。写実的な兵馬俑とはタイプが違います。
「この時代のデフォルメはすごいですよね。縄文式土器はものすごく緻密なつくりじゃないですか。それが量産するためとはいえここまで過度に簡略化するのかと。とても牧歌的な感じがします。もっと武力を見せたかったら龍や獅子をモチーフにしてもいいのに、なんだかのほほんとしてるんですよ」
古墳を回り込むと今城塚古代歴史館がありました。常設展は無料です。古墳の初期から終末期にわたる図解や、葺石を運ぶ人形、石棺の実寸レプリカは迫力があります。
「古墳時代はあまりにも記録がなくて短く思えますが、350年あって江戸時代より長いんです。その間に何かをしていたはずなのに、ほとんど知られていない。日本人たちが古墳づくり以外何をしていたのかさっぱりわからないんです」
そういえばこの時代は固有の文字がなく、着ていた服や住まいの様子はわかりません。日本で起こった政治的なニュースも中国の文献頼みです。
「古墳が唯一のタイムカプセルなんだから字を残してくれと思いますよ。でも当時は墓に文字を残すのを良しとしなかったのかもしれません。副葬品や鏡を入れてその人を表そうとしています。まるでパズルのようです」
歴史館を出て時計を見ると、着いてからすでに2時間半。古墳をこんなにじっくり見たのは初めてです。定まった研究結果をたどるというより、わからないことを再確認する、考える時間でした。場所を移して奥野さんが古墳に興味を持ったきっかけと思いを聞きました。(続く)
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