傾聴は普段使いができるのか?
取材で人の話を聞く仕事をしていますが、傾聴ボランティアに興味があって先日から養成講座に通い始めました。実習つきで5回ほどあり、修了するとボランティアとして登録ができるようです。仕事柄、座学とワークを受けつつ、どうしても自分が日常使っている方法と比べてしまいます。得たもの(これから得るもの)と疑問に感じたことをまとめてみました。
第1回は「傾聴とは何か」のあらましを知る講座でした。NLPや心理学でよく取り上げられるように、言語と非言語のコミュニケーションや見た目を重視するというメラビアンの法則、「相手に寄り添う」ための心構えなどを教えられました。
うーむ、やっぱり。
うなずき方や相手の目を見ることなど、態度についてもアドバイスがあります。相手の表情や態度から気持ちを読み取ることも項目にありました。
印象に残っているのは講師が「ひたすら相手に合わせて聞いてください、自分を出さないでください」をくり返していたこと。やっぱり傾聴は傾聴、会話とは違う。
次の回は、前回を踏まえながら「相手のフレーズをくり返す」ワークです。くり返すとき、聞き手が勝手に単語を足してはダメというのは難しいですねえ。思った以上に自分を出さない、無私を貫く手法です。
講師のエピソードを聞くと、年配の方を相手にすることが多い傾聴ボランティアは普通の会話とは違う困った状況になることもあるようです。そんなときも「相手に合わせる努力をしてください」と言われます。
うーむ、努力か。
どうしても、聞き方の本などでも、聞き手が上から目線になっている思考が透けて見えると違和感があるんですよね。「○○してあげてください」「こう○○させるのです」という言い回しは、こちらが優位に立とうとするから生まれる言葉です。
どこか「こっちが努力してやる、合わせてやる」という感覚がある。だから特別なトレーニングが要るのだと。
今回学んでいる傾聴は、いつも自分たちが行っている会話や日常の世間話で使えないとはいいませんが、一部応用に留めないと聞き手が大変です。「聞き手が自分を捨ててすべてを受け入れ、それを望んでいる人と話す」という場面で有効に作用するものだと感じました。たしかに世の中にはそれが必要なときがあります。
でも暮らしの会話や取材で話してもらうための聞き方は、もっと聞き手が能動的に参加できるものだし、お互いに化学反応を試す楽しいものだと考えています。
オウム返しもただ返すのではなく、どういう視点で会話に参加して、何を求めるからどんな調子で返すのか。
会話の面白さは、こちらの知りたい気持ちと相手の話したい気持ちを一致させること。
傾聴力は、必要な場面で発揮すれば相手に喜ばれます。ただし聞き手の知りたい気持ちを抑える特別な方法。日常で使うものとはちょっと違います。同時に、自分が仕事で使ってきた会話法に自信が持てました。間違っていないなと。
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