[書評]『民法改正 契約のルールが百年ぶりに変わる』内田貴
東大法学部卒、東大教授を経て、現在「民法改正」のため法務省内で推進本部参与に就いている著者の新書『民法改正: 契約のルールが百年ぶりに変わる (ちくま新書)』。内田氏は民法の大御所ですが、親しみやすい語り口とスタンスで評価が高いとのこと。旦那が法務系の人で「この人のはいいよ!」と大絶賛だったので、読んでみました。おお、わかりやすい!
そもそも「民法」は生活のどんなところに影響する法律なのか、どう成り立ったのか、外国ではどうなのか、何が問題になっているのか。法律関連書としては型破りなほどわかりやすい筆致で書かれています。
「民法」は明治期に列強に追いつこうと急ピッチで整えられた法律。外国を見本にしたものの日本に合わないところは使えないので、基本概念だけ残してバッサリ斬ったのが今の形。なので、法律の条文だけ読んでも理解不能で、法律家による膨大な「解釈」を併用しないと使えないのがネック。本書では「一言も書いていないのに、こう判断される」という事例がいくつも出ています。
法律を難しく感じさせるのがまさにここ。本来なら「ある程度の知識があれば条文から判断を導き出せるもの=法律」なのに、日本ではそれができない。専門家だけが法律を理解して、門外漢は触れるべきではないと考えられている。内田氏が「改正」したいのはここです。
言い回しが難しい、現代にそぐわない条文がある、そもそも判断基準が明文化されていない。加えて一般の人が読みに行こうとしても行けない場所に法典が存在する。内田氏はこれを、わかりやすい言葉に直し、実務で運用できる条文を整え、「前提としてわかってるでしょ」と省かれたことも親切に言葉に表す。そして、知りたいと思ったらすぐ参照できる、参照して一般の人も判断のよりどころにできる「民法」に直そうとしています。
「法の輸出」という考えはこの本を読んで初めて知りました。国際取引や関係が深まって、世界で準拠できる法律の整備が進んでいます。日本は実務者や経済界の反対からこれらの整備メンバーに入っていません。今後、人が決めた法律で運用するか、自分たちがやりやすい形で運用するかがかかっているのに、その重要性が知られていません。まず一般の人も興味が持てるように、というのが第一のハードルのようです。
法律は事象の解決法であると同時に言葉の運用術でもあって、どんな「日本語」をよしとするのか気になっていました。意外と、本に載っていたフランスやドイツの条文の日本語訳のほうがわかりやすい……。主語、述語の関係が明確でシンプルなんでしょうね。
中国の法律も(運用や適用の面で)大概だと思いますが、日本語のひねくれた法律条文もいい勝負だと思いました。国内ではよくても国外では通用しない、という内田氏の話はもっともです。
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