世紀末に読んでいた99冊 その4

世紀末に読んでいた99冊 その4

「10冊読んだらレビューをアップしていい」という縛りを自分にかけていた95年〜98年ごろのレビュー第4弾です。年齢にすると23歳〜26歳くらい。記述は当時のままです。今回は『五体不満足』『清張ミステリーと昭和三十年代』など。一部辛口。

31 世は〆切 山本夏彦・文春文庫
世は〆切 (文春文庫)

この人は自分が社会的に偉い立場にいることを知っている。文の歯切れはとても良くて読みやすい。でも中身は年寄りの僻みが入っていてあまり同調できない。

「むずかしい本字じゃ読めないから仮名で書く」と言ったら担当の編集者が本字とは何かと訊く。そこで日本語についての知識が若者(この人にかかると40代の人でも若いうちに入る)から消えつつあると嘆く。この手の話はたくさんあるんだけれども、自分が若いときに同じような嘆きを年長者から受けていたことをすっかり忘れている。自分が古来の正しい日本語や日本の文化を継承していて、年寄りがまたうるさいことを、と煙たがられているのも承知で苦言を呈していると信じている。

日本語は変化するし、時代を動かしているのは自分よりも若い人間で、消えつつある文化があるのは当たり前。百年前だって二百年前だって年寄りは「昔は良かった」と言い続けていたし、これからの自分だってきっとそうだろう。そういう客観的な視点がどこにもない。何様のつもりだ?

物事を資本主義と社会主義に分ける姿勢も天晴れ。その方が区別がしやすいからねえ。きっと間にあるものは見えてないんだと思う。「南京大虐殺」はなかった、と断言するに至ってはどうしましょう。どうやって証明するんだか。

あったことを淡々と書いているコラムならそのリズムのある文章がいい味を出しているんだけど、どこか自分の考えを出そうとするコラムだと怒りを通り越して呆れる感じ。長く生きていることは素晴らしいことだけど、編集者にとっては大事な作家様でも自分にとっては自己チューなオヤジにしか見えない。このスタンスで50年もやってればいい加減板にもつくか。

32 中国の路地裏物語 上村幸治・岩波新書

中国路地裏物語―市場経済の光と影 (岩波新書)

今の中国は、昔の日本の高度経済成長期と似ているのかもしれない。この本は庶民がどういった形で「資本経済」と向き合っているかという例を個人の名前を出して細かく書いている。うまく波に乗った人もいれば飲み込まれた人もいる。

食べることで精いっぱいだった人たちが余剰利益を得てもっと「豊か」になろうとしている。日本のように精神論を振りかざす人よりも、あからさまにお金に対する執着を話す人が多いのはお国柄なのかな。

でもやっぱり基本は社会主義だから、国が先導して国家の経済を立て直そうとしている。自治体ごとや職場ごとにグループが決められていて、そこから福利厚生や給料やコネが発生する。でもこの頃はそこから離れる人が出てきている。もっとキツキツに締め付けて厳しいのかと思ったら、開放政策開始後は思ったよりも自由らしい。どこまでが社会主義でどこから資本主義なのか線が引きづらい。

考え方が根本的に違うのかと思った時期もあったけど、みんな結局は同じなんだな。

33 日本語練習帳 大野晋

日本語練習帳 (岩波新書)

感覚的に分かっている言葉のニュアンスの違いを、改めて文字で刷り直してくれる本。逆に言うと、新しい発見はあまりなかった。文章の骨格についても敬語の使い方にしても、知っている人が読んだらそれまでだし、知らない人が読んだらまだ言葉が足りなくて分からないかもしれない。

悪い例としていろんな文献から文章を引っ張ってくるので「ああ、著名な人の文章にも悪文があるのだな」と認識したのが収穫だったかも。

毎日日本語について研究している人は、おいそれと言葉で表現できないんじゃないか。その助詞はどこにかかるとか、その言い回しは違うんじゃないかとか、いろんなことが気にかかって生活できないんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう。

34 B級ニュースの旅 泉麻人・新潮文庫

この本の前に「B級ニュース図鑑」という文庫本が出ている。600円位する文庫本だけれど何度も何度も読み返した。これもその姉妹版というか、続編というか。

新聞の縮刷版などから当時の面白いニュースを取り出して、この人ならではの切り口でコメントを乗せていくもの。「図鑑」は筆者の生まれた昭和31年以降の新聞、と範囲が決まっていたけれど、今度は週刊誌や昭和31年以前のものにもチャレンジしている。

選ぶ事件や事柄がB級のツボを押さえてくれる。年末年始の「モチつかえて老人死ぬ」というニュースだけ集めてみたり、賊のいろいろを集めてみたり。「図鑑」では「怪盗メケメケ団」を自称する男女ペアの強盗の話が載っていた。いい時代だよな。
まず「図鑑」を読んでから「旅」を読んだ方がいいかもしれない。

35 沈める滝 三島由紀夫・新潮文庫

沈める滝 (新潮文庫)

久しぶりに三島を読んだ。活字が妙に小さい。愛を信じないで鉄や石などの物質にだけ興味があった男が、不感症の女を相手に人工的な愛の構築を試みる。作りだそうと思っていたのに、作っている間の自分の意図や相手の反応に動揺して、深みにはまっていってしまう。

何か一つのことを形容するのに、何行も費やす。でも使っている言葉の選び方がこの人独特の耽美的な感じ。内容が頭に入らずに文章だけ追っていってしまって、ページを戻すのもしばしば。他の本も読み直さないと駄目だなあ、きっと。

36 日本人のしつけは衰退したか 広田照幸・講談社現代新書

日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書 (1448))

衝動買い。子供が走り回っている電車の中なんかで読むと一層深く染みてくる。

近頃は少年犯罪が起きる度に家庭と学校のしつけのあり方が問われる。筆者は「果たして本当にしつけは衰退したのか?」と資料に向かう。

昔は厳しかった、という声はよく聞くので、それならばとお年寄りに子供の頃のしつけについて聞き込みをする。意外にも「親にしつけられた記憶はあまりない」と皆言う。代わりにルールを教えたのは近所の大人達だった。農作業で食べていくのに手一杯の親たちは、自分の子供にばかり構っていられない。手伝いをさせるときに「帰ってきたら鍬の土をきれいに洗うように」とこっぴどくしつけられたという話もあるけれど、それは稲作という生活に直結したことだから厳しかった。これを怠ると鍬が錆びて生活が出来なくなる。社会的ルールは、ムラ社会を構成している大人や年長者が下の者に教えていった。

昔の子供は節度をわきまえていた、という説もある。でも少年による凶悪犯罪のグラフを見ると戦後の混乱期をピークに昔の方がはるかに多い。

こういったしつけに関する「常識」を覆しながら筆者は結論づける。しつけは社会が担うものだったのが家庭内、特に母親の役割だと認識されるようになった。親へのアドバイスとしている本でも裏のメッセージとして「しつけに失敗したら大変なことになる」という脅迫がつきまとう。それに追い詰められて完璧な親子を目指すあまり、今矛盾が吹き出しているのだと。親も子供のために人生を生きているのではない。しつけが衰退したのではなくて、しつけを巡る環境が変わったのだ。

でもやっぱり電車で走る子供はどうにかしてほしい。マクロ的に考えるといいんだけれども、目の前でミクロな事例を見るとそこの母親に「どうにかしてくれ」と思う。脅迫めいたしつけ論に縛られる必要はないけれど、最低限のマナーはやっぱり必要だ。

37 日本人と中国人 陳舜臣・集英社文庫

日本人と中国人 (集英社文庫)

本屋で平積みになっていたので新しいのかと思っていた。それにしてはずいぶん初歩的な誤解を解くことから入っている。よく見たら初出年は昭和46年で、中国と国交回復する直前のもの。だからか。

顔は似ているけれど何かが違う、と思っていて、でも何が違うのか自分ではよく分からない。これを読めばたちどころに、というわけではないけれどヒントはたくさんもらった気がする。

たとえばキリスト教を信じている人はキリストを絶対的なものだと思う。中国には背骨になるべき神がいない。代わりを務めたのは人間だった。

中国は長江やら黄河やら大きな河川を持っている。大雨が降れば氾濫する。しかし中国の皇帝はこれらを力と叡知でねじ伏せることが出来た。人を使い、土地に手を加え、自然と真っ向から対立していつもギリギリの闘いをしてきた。だからこそ人間が勝ったときには皇帝の力が誇示される。神に頼らなくても人間がいた。

対して日本は台風が来ても何時間がじっとしていれば過ぎてしまう。洪水が起こっても高いところに避難すればどうにかなった。一神教の強い神がいない代わりに人間に対する賛美も中国に比べて弱い。

中国の人に「江沢民を好きか嫌いか」と聞いたら「好きも嫌いもない。リーダーだから」と言われたことがある。日本だとほとんど好き嫌いで判断してるんだけど。

中国は人間を重んじて説得したり論議したりする。でも日本は誰か上に立つものが扇をひと振りすれば皆動く。日本には中国にない曖昧模糊としたものの存在を認めている。それがもののあわれであったり、わびさびであったりする。

ほかにも中国は文に優れたものが政治家になる歴史があるので文化と政治は切り放せないが、日本は政治的なものと文化をなるべく切り離して考えたがるとか、言われてみれば思い当たることがたくさん書いてある。

38 清張ミステリーと昭和三十年代 藤井淑禎・文春新書

清張ミステリーと昭和三十年代 (文春新書)

いやあ、タイトルだけでもう「買い」でしょう、これは。3時間で読み終えた。著者は近現代文学と文化を研究している大学教授。

「社会派」と言われた松本清張の小説が次から次へと出版されたのは昭和30年代。そこには当時の世相や生活や考え方が凝縮して入っている。高度成長期がなかったら清張の小説は生まれなかっただろうという持論をもとに、丁寧に描写と風俗を照らし合わせた一冊。面白い。

それまで「推理小説」といえばトリック中心のものばかり。清張は事件よりも背後にある人間関係や動機に踏み込んだ新しい「推理小説」を書いたと言われる。高度成長期はそれまでそれぞれの地域で暮らしていた人たちが都会にどっと流れ込んだ時期。お金持ちの家に生まれればずっとお金持ち、貧困家庭に生まれればずっと貧困という図式が成り立たなくなって、誰でも富を得る可能性が出て、誰でも底辺に落ちる可能性が出た。そこでは今までになかった憎悪や駆け引きや新しい富が生まれる。清張の小説の主人公はこれらに振り回されていく人が多い。

清張の小説から高度経済成長期の宅地の広がり方を見ていくくだりは目からウロコ。主に企業が集まっていたのは東京や神田、銀座の辺りだったので、まず直接乗り入れが出来る中央線が西に伸びて宅地が広がっていく。清張の小説の主人公は「小役人」が多い。東京に勤めに出ているが、温泉マークが多い代々木や千駄ヶ谷で愛人との逢瀬を重ねて、たまに同僚と飲むときは新宿に出たりする。新宿から満員電車で15分ほど揺られると自宅につく。これが小説によって中央線の駅からバスに乗らなければ駄目になったり、バスから降りて更に歩かなければ一戸建ての自宅に着かなかったりする。その様が資料から見た宅地の広がり方とうまい具合に合致しているらしい。

アリバイに「映画を見ていました」というものが多いが、それも一人年間12本以上映画を見ているようなこの時期だったからこそ可能なアリバイで、映画にまつわる記述から当時は「半年前の映画でも『古い』と言われるほど使い捨ての要素が強かった」とか「旅先で見たい映画がかかっていたのでふらりと入った、というアリバイも成立する」と筆者は読み込む。

そのほか小売店店主が愛人を囲う話を取り上げ、資料から当時の小売店の売り上げで愛人に貢ぐことは可能だったのかとか、男女の思惑の違いから殺人が起こる話を取り上げて当時の男女の貞操観念を探ったり等々、世相の匂いが色濃く出ている内容。

最先端の流行小説として発刊直後に読んだ人と、半分古典のような感覚で読んでいる自分とは捉え方が違う。どんな風に違うのか、当時の人ならこの記述から何を読みとって何を風刺したと感じて読んだのか、それが書いてある。高度経済成長期に憧れている自分にとって格好のタイムスリップの材料になった。

39 リング 鈴木光司・角川ホラー文庫

リング (角川ホラー文庫)

やっと読んだ。そうか、こういう話だったのか。解説では「読んだ後、一人でいるのが無性に怖くなり仲間のいる飲み屋に駆けつけた」とある。自分はどちらかというと読み始めの方が怖かった。

淡々と描写が続く。怖がらせようとか意図的な文体ではなくとても客観的な語り口なので、それがこれから起こる出来事について想像をふくらませる。

主人公は手がかりを探しながら解決に向かうのだけれど、その手がかりの提示の仕方がうまい。そうか、こうやって展開させるのかと手法が気になってストーリーの怖さを感じないまま最後まで読んでしまった。

確かにこれが暗い映画館で迫ってきたら怖い。でも昼下がりに読むとそのまま読み進んでしまう。今度は『らせん』を読んでみよう。

40 五体不満足 乙武洋匡・講談社

五体不満足 完全版 (講談社文庫)

読み始めたら面白くて、3時間かからずに読了。障害者だからどうというのではなくて、まるで室井滋のエッセイのよう。面白い人間の周りには自然と面白いことが起こってそれがエッセイとしてまとまっている感じ。その中でたまたまよく見たら筆者が障害を持っている人だった、というくらい気軽に自分の障害について書いてある。

「自分にしかできないこと」というのが一人一人にあって、乙武くんは障害という「目印」のおかげで人より早くそれを見つけることが出来たという。彼はバリアフリーの問題に自分のこれからをかけることにした。自分にしかできないことって何だろうなあ。
自分がかけがえのない存在だということに気づけば、相手も世の中に一人しかいないかけがえのない存在だと認めることが出来て、それが障害者への配慮や、もっと広い意味での気配りにつながっていくという。健常者と障害者の区別なくそれは言えること。

で、そのためにやっぱり、まず自分について考えなくちゃいけない。何をしたいのか、何のためにいるのか、今まで目をつぶっていたものを改めて突きつけられたかも。

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