[インタビューズ]日本モダンガール協會 代表 淺井カヨさん 1/3
モダンガールといえば、昭和初期に西洋文化の影響を受けた、流行に敏感な女性たちのこと。日本モダンガール協會代表の淺井カヨさんは、ファッションだけでなく生活様式までも当時のスタイルを再現し、実践しています。「自分流」を探している人が多いなか「この私でいく」と方向性を決めるまでにどんなプロセスがあったのか、どんな思いが背中を押したのか、お話を伺いました。(全3回)
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さまざまな時代を体験して、戻ってきた
古い時代や文化に興味を持ち始めたのはいつですか。
実家は名古屋の住宅地にあるのですが、農家をやっていた祖父母の家と私たちの家が同じ敷地にありました。幼少の頃、祖父母は昭和初期のような暮らしをしていました。のちのち現代的な暮らしになったのですが、昔はお風呂やご飯を炊くとき薪をくべていたほどで、小さい頃から古いものには違和感がありませんでした。
小学生のときに家族で犬山市にある明治村に行きました。そこは完全な野外博物館、馬車や汽車が走っているようなすごいところなのですが、その世界を見て「何だこれは!」と心酔してしまったのが始まりでしょう。
そこからアンティーク調の文房具を買ったり、小遣いから古地図のポスターを買って壁に貼るようになり、高校生になると骨董市へ足を運びました。新しいものより古いものに囲まれているほうがホッとする感覚は昔からあります。
小さな頃からずっと昭和初期にこだわってきたのでしょうか。
いえ、ここに来るまでいろんな時代が混在していました。
絵を描くことが好きで、昔は漫画家になりたいと思っていました。高校では変わったクラスだったので個性的な人が多く、私も60年代や70年代のファッションに凝ってチューリップハットにパンタロン、弾けないギターを持って歩いていた時期があります。
美術系の大学に入ってからうまく馴染めず、バックパッカーとしてしばらく海外へ出ました。学校を1年間休んでイギリスの老人ホームに住み込みで働いたことがあります。帰国してからヴィクトリア調が気になり、髪を縦ロールに巻いてみたりパニエをつけフワッとしたドレスを着て街に出かけていました。
イギリスは古いものを大切にする文化があって好きなのですが、私がヨーロッパ風の格好をしてみても「これは一生やっていくものではないな」という違和感がありました。日本人がやることではないのですね。そこから日本の昭和初期、モダンガールの時代に戻ってきて「これだ」と。
大正から昭和にかけては、長い和の歴史に西洋文化が入ってきた時代です。今ある近代生活はここから始まっていることが多く、意識も現代に近いものがあります。何より、単なる西洋の真似ではなく、うまく取り入れて日本文化に重ねていくのが楽しいのです。小さい頃から近代日本に憧れがあったこともあり、やっぱり私はこの時代が好きなのだとわかりました。
ずっとやり続けてきたのではなくて、むしろいろんなものを見て経験して、それで20代後半になってやっと見つけた、という感じです。(続く)
※2012年12月26日(水)18:30〜 テレビ朝日系『銭形金太郎 2時間半スペシャル』で淺井カヨさんが登場されるそうです!
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