[書評]古代から課題が続いている『つながらない生活』
副題は『「ネット世間」との距離のとり方』。何かの本を読んでいてタイトルを見て、ああ今欲しい本だ、と思って買いました。最先端のガジェットやらデバイスやらのニュースはうれしいけれど、読むのにどこか疲れている。買ったらうれしいけれど、なんかモヤモヤする。答えがあるかなあ。
著者はワシントン・ポスト紙の元スタッフライター、ウィリアム・パワーズ。すでにテクノロジーやメディアについても本を書いているとのこと。有賀裕子訳です。
第1部でつながり過ぎの現代について述べて、第2部で世界史に登場するような7賢人の「新しいテクノロジーとの格闘」を描く。第3部では「落ち着いた生活を取り戻す」と題して、こうしましょうという提案が書いてあります。
面白いのは第2部でした。
登場するのはソクラテスとプラトン、セネカ、グーテンベルク、ハムレット、フランクリン、ソロー、マクルーハン。知っている人も知らない人もいました。みんなに共通するのは「つながりすぎの状態」と「つながらない状態」のバランスに苦労していたこと。
たとえばソクラテスは対話を重視して、人との話から真理を見つけようとします。いわば当時のつながり至上主義で、街に出てどんどん語らう。そのときにできた新テクノロジーは「書き物」です。旧テクだと話し言葉でしか思索を深められませんが、新テクは情報を詳細に持ち運びできる! プラトンは新テクを郊外に持っていって、独りで思索を深める方法をとります。対話による「つながり過ぎ」が彼にとってうるさかったんですね。
古代ローマ哲学者セネカは、都市として発達するローマのまっただ中にいました。当時はインフラがつながってきて、海の向こうから郵便物を届ける船にはみんなが群がったそうです(あたかもしきりにメールボックスをチェックするかのように)。ここで彼は「書簡をしたためる」ことに集中する=内面世界に入って思索を深める、という方法をとりました。公衆浴場の上の部屋でも集中ができる、と書簡にも書かれています^^;
グーテンベルクは印刷技術で本を大衆に行きわたらせました。それまでの本は大きく、高価で、字が読める人が音読してみんなで聞いていたそうです。でも手軽なサイズの印刷本が出てくると「黙読」の文化が始まります。どこかのコミュニティに出かけて音読を聞くのが旧テクなら、独りで黙読できるハンドサイズの印刷本は新テクでした。
当たり前だと思っている文化が、存在しない時代があること。新しい文化が出てくると、とりあえず古い人たちは「それじゃあ思索は深まらないよ!」と反対すること。結構、この事実が面白く読めました。
第2部を貫いているのは「つながりすぎ=外部を求める」「つながらない=内部を高める」という図式です。今もそうですが、あんまりつながりすぎると外ばっかりに目が向いてしまって、自分で考えを醸成する時間も発想もなくなってきます。古代も同じように考えて方法を見つけた人がいるんですね。
第3部は、今の私たちがどうやって「内部」に目を向けていくか、の方法論です。レビューを見ると「ここだけ読めばいいよ」という人もいますが、個人的には第2部を読んでからの方が理解しやすいと思います。
ここを読んで、私は「週末はネットから離れるかな」と考えました(まだ2回だけですが)。PC、iPhoneやiPad、スマートフォン、TVも含めてこの本では「スクリーン」と呼んでいます。スクリーンに触れない時間があってもいいんじゃないか、というのが提案。
著者自身、ガジェットに囲まれて生活していた人なので大変ではあったようです。でもある日に携帯を湖に落として「本当の独り」を体験したときが爽快で、この本につながっているとのこと。多少の荒療治があるかもしれませんが、読めば今の生活を見直すきっかけになるのではないでしょうか。
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