世紀末に読んでいた99冊 その2

世紀末に読んでいた99冊 その2

「10冊読んだらレビューをアップしていい」という縛りを自分にかけていた95年〜98年ごろのレビュー第2弾です。年齢にすると23歳〜26歳くらい。記述は当時のままです。

11明治人ものがたり 森田誠吾

明治人ものがたり (岩波新書 新赤版 (577))

筆者は入院中に様々な本を手にした。何冊も読んでいると一冊では分からなかったことが立体的に見えてくる。それを改めてまとめようと思ったのがこの本。明治期を生きた人を何人か取り上げて、その人たちの裏話的なエピソードを載せている。

まずは明治天皇。まだ明治天皇が神格化されていないときに、新聞に「お付きの女に手を出して皇后に叱られた」なんて記事が出ている。昭和の頃には考えられない。それだけ身近で、天皇家が日本の名家の一つくらいにしか認識されなかった時期が記されている。

人物記を書かせたら秀逸だった森銑三は、学歴はないが学問歴は長く深い。彼が井原西鶴論を出すまでの紆余曲折。文豪を父に持つ森茉莉と幸田文。二人がどんな人生を送ったかを比べながら書いてある。性格も辿った道も対照的だった。

その人となりを知ることも面白かったけれど、筆者が読んでいるこれらの話の元の本が知りたくなった。後ろに参考文献が付いている。文庫本で結構出ている。まだ知らない作家や知らない人はたくさんいるんだな。これからもっともっと本を読まないと。

12今はもういないあたしへ… 新井素子

今はもういないあたしへ… (ハヤカワ文庫JA)

短編が二つ入っている文庫本。私が読みたかったのは表題作ではなくて、もう一つである「ネプチューン」。中学のとき友達からハードカバーで借りて一回読んだきり。本のタイトルになっていないから本当にこんな名前の話があったのかも怪しかった。インターネットで検索してこの本に収録されていることを発見。10年ぶりの再会。世の中便利になったもんだ。

一度読んだだけなのに素子さんの本の中で最も残っている話。もともとタイムスリップやらSFチックな話は嫌いじゃない。時間と空間の捉え方とか、自然淘汰と人為的な破壊の区別とか、私の基本的な世界観はこの話を読んで完成した気がする。いや大袈裟ではなくて。

昔はその仕組みに惹かれた。改めて読んでみたら、今度は登場人物の気持ちの動きの方に目が行った。男性が女性を好きになって、でもその女性は別の男性が好きで、でもその別の男性はまた違う女性が好き。ぐるぐる回るように恋愛感情がすれ違っているというか。で、それぞれみんな一人で寂しい気持ちだったり、捕まえていて欲しいと思ったり、純粋に、ただそばにいたいと思ったり。昔はそんな文章に全然気が付かなかった。人の恋愛が絡んでいた話だったんだな、と今読んでから思い出したくらいで。でもこの「人を好きになるパワー」が途轍もないものを産み出す、という結末だからはずせない。

自分の中で「ネプチューンは私の根源」と思っていたから、もっと長くてもっと重々しい話だった気がしていた。実際は短編の賞を貰った話で短い。身近な気持ちがたくさん書いてある。読み方が変わったのか、少し大人になったのか。

「今はもういないあたしへ…」も、考えてみれば読み直したのは8年ぶりくらいなのかなあ。昔読んだときはピンと来なかった。クローンという自分の中になかった新しい概念があって、研究室や病院の描写が見慣れていないぶん新鮮で、意識がその二つに集中してしまって本来の主題にはあんまり気を払わなかったというか、気がつかなかったというか。「自分が自分じゃないこと」の不安定さがメイン、かな、たぶん。その不安についてぼんやり考えることはあったけれど、文章として提示されているのをちゃんと見たのは初めてだった。前は読んでも気がつかなかったから今回が初めて。おぼろげながら「この考えはオリジナルだ」と自負していたつもりが、もう自分がすでに読んだ本の中に書いてあったんだな。ちょっと間抜けだ。

13薬局通 唐沢俊一

薬局通―目からウロコが落ちる薬の本 (ハヤカワ文庫JA)

6年ぶりに再会した友人が薬剤師になっていて、業界のいろんな裏話やら職業ならではのこぼれ話なんかを聞いた後だったから興味深く読んだ。アメリカのドラッグストアと日本の薬局の比較や、薬局の法的な定義とか、薬局に来る変な客の話とか、ヒロポン全盛期の話とか。

ぴあから出ている「ガラダマ天国」を読んで初めてこの人の存在を知った。「と学会」の方で知っている人の方が多いのかな(私はまだ読んだことがない)。この本は唐沢さんの処女作らしい。90年に出版されている。ずいぶん昔から文筆業に就いていたのかと思ったらそうでもなかったんだ。

んー、でも現役の薬剤師から「手術のときは血管は4カ所しか縫わないらしいよ」とか「ホルマリン漬けのマウスを眼鏡なしで解剖していたら眼をやられた」とか「病院の調剤やるとカルテが見れるから面白い」とか、ほやほやな話の方が楽しい部分もちょっとあり。これを読む時期が悪かったかも。ごめんなさい。

14夜叉ヶ池・天守物語 泉鏡花

夜叉ヶ池・天守物語 (岩波文庫)

独特の世界ですな。言い回しといい、設定された世界といい。戯曲は三島の戯曲しか読んだことがなくて、それもポンポンとやり取りされるような台詞だったから、このリズムに最初は面食らった。三島も鏡花も美しい点では同じだけれど、その質はそれぞれに独特だった。秋草を露で釣り上げる場面が気に入った。その発想がいいなあ。

元は戯曲ってことは正式な形態は舞台で再現されるわけで、文庫本に収められているのは一部だけ。本当は上演を見に行って舞台装置やら衣装やらも含めて味わうべきものなんだろう。そのせいか読んだだけではすぐに頭に情景が浮かばなくって、時間がかかった。想像力が足りないのか。出てくる人が人間なのか、妖怪なのか、それを見極めるのも人よりかかったと思う。何度も前をめくったり後ろをめくったり。

天守物語の富姫を見て、連想したのは「もののけ姫」のエボシ御前。凛としていてカリスマがあって美しい。yosoi氏に言わせると富姫はそんなのよりももっと偉い人らしい。でも印象は似ているよ。

鏡花の話はまだたくさんあるから機会があったら読んでみよう。次は「外科室」だ。

15鏡花夢幻 波津彬子

「天守物語」と「夜叉ヶ池」と「海神別荘」がコミックになっている一冊。画がついているとこんなにも認識が早いのか。すらすら読んで一時間かからなかった。文庫本はずいぶん時間をとったのに。

やっぱりこういう話は主人公やヒロインは美男美女でないと務まらないのかな。みんなキレイだ。「天守物語」の図書之助は文庫で読んだときもっと無骨な人のような気がしていたから、絵柄を見たときは少し違和感があった。でもキレイだからすぐ馴れた。秋草を釣り上げるところもあった。キレイだった。でも簡単に自分の目の前に場面が再現されているから少し拍子抜けというか、想像していたのが幻想的すぎたというか。

「海神別荘」はまだ文字で読んでない。海神はこれまた美しく描かれている。文字で読むときはきっと自分の好みを反映しているのだな。たぶんコミックでめちゃくちゃ美しい人(男性)たちは、自分が文庫本を読んだときは無骨系の中に入っている人たちだ。舞台で再現されたのは見ないで、このまま頭の中で動いている世界に留めておいた方がいいのかな。

16数の悪魔 ハンス・マグヌス エンツェンスベルガー

数の悪魔―算数・数学が楽しくなる12夜

10歳の子供から読める本、と表紙にある。3000円位する分厚い本だけど、文字は小学校の教科書並みの大きさだし、内容もコンパクトに12章にまとめられている。ただの算数から数学という学問へ自然に導かれるような。確かに読みやすかった。小学生のロバートが夢の中で数の悪魔から教えてもらう。それを一緒に追っていく。

数の不思議についてたくさん載っている。イラストの感覚で図も載っているから分かりやすい。たとえば11×11=121。111×111=12321。タケヤブヤケタみたいに上からでも下からでも同じ。この章は11桁×11桁はどうなるのか、の問題提起で終わっている。きっと自分でやってみて、面白さを実感するためなんだろうな。と思ったらあとの章で11桁目でこの定理が崩れてしまうようなことが書いてあった。むむ、この辺が数の悪魔たる所以か。素数の正体も不明なところが多いらしい。

分かりやすい例で書いてあるのはありがたい。けれどもやっぱり昔テストで2点を取ったことがある人間にはつらい部分もある。数の証明よりも、数は無限にあることを実感した方が大きかった。

1000000000000000000000000000000000という数はきっと誰も見たことがないけれど、でも存在はしている。不思議だよねえ。世界中で蟻んこが何匹いるのか、必ず存在する数だけど誰にも掴めないのと似ている。似てない?

17鹿鳴館 三島由紀夫

鹿鳴館 (新潮文庫)

三島の話って貴族の話が多いな。そういう世界は好きだから良いけれど。社会的に苦労をしていない人たちの言動が興味深い。自分は絶対になれない身分だからね。

最終的に殺すもの殺されるものの関係が入り乱れる。お互いの思惑がごちゃごちゃになって、混乱した状態でエンディングになる。話自体は登場人物の心情や事情が細かく書いてあるから、誰が何だか良く分からない、ということはない。でも設定は複雑になっている。どうしてこういう設定をうまくある一定方向に収めて、なおかつ詳しい心情を書いて見るもの読むものを納得させられるのだろう。戯曲はこういうところが不可解でもあり面白い。

表題作の他に「只より高いものはない」「夜の向日葵」「朝の躑躅」が入っている。鏡花のとは違って、三島の戯曲は舞台を見てみたいと思う。何でだろうな。

18獣の戯れ 三島由紀夫

獣の戯れ (新潮文庫)

ずいぶんと激しいタイトルとは打ってかわって、もっと淡々と男二人女一人の情景が書いてある。この三人は、共同体だった。相手に嫉妬したり憎んだり、殺そうと思ったり、マイナスの感情しか持っていなかったとしても関わらずにはいられなかった。形としては不幸なんだけど、それで良かったのかなあ。

新潮文庫は後ろの表紙に付いている解説文を頼りに買うんだけど、ここの文章一つでその本が買ってもらえるかどうかが掛かっている。そのせいか買う前に読んだ解説文の印象と、実際の中身とがちょっと違う感じのときがある。書いてあることは間違っていなくても想像させるものが違う方向だったり。やられたと思うと同時に見習わないとな。これも一つの広告文なんだから。

19町工場・スーパーなものづくり 小関智弘

町工場・スーパーなものづくり (ちくま文庫)

町工場は「まちこうば」と読むのを筆者は推奨している。お勤めに出てから、いろんな職業にもいろんな苦労があって隠れた技術があることを知った。この本は下請けといわれている町工場での「人の手」による技術の面白さを書いている。スペースシャトルの部品、車の部品、歴史的な木造建築を守るための和釘、レンズの研磨等々。オートメーション化が進んでいるとはいえ、まだまだ人の手に頼っているところは多い。100分の1ミリや1000分の1ミリの差が機械に反映する。

印刷機の部品は一秒間に何千何万も回転する。高速で長時間回転させるとその数百分の数ミリという単位で誤差が出てくる。世界的に評価された機械はその仕事量でも誤差が出ない。ひとえに技術者が精密に部品を作り機械を組み立てたから。ズレが許されない印刷物を刷るためにはこの技術が必要。印刷機のエピソードで一番「精密さ」を実感した。そうだよね、何万回転もしてるんだもんねえ。

「職人」という言葉の響きに憧れたことはあったけれど「技術者」には何も感じなかった。でも同じなんだな、定義としては。ただ社会的なイメージが違うだけで。専門技術を持った人は格好いい。

20犬家の一族 とりみき

とり・みきという名前は知っている。どちらかというと本流にいるのではなく傍流にいる人だけど、いろんな人から「面白いよ」という評価を聞いていて興味はあった。正直言ってこれを読むまでこの人が男なのか女なのかも知らなかった。名前だけじゃ分からないじゃん。

この本の最後の方はとり・みき自身がどうやって今に至ったかが描いてある。この人の根源もSFだったのか。小松左京やその他いろいろな人(分かってない)の本を渡り歩いている。このコミックもSFそのものの短編を集めたもの。タイムトリップあり、近未来あり。大笑いをするわけでないけど、口端をにっと上げて笑ってしまうような設定が味わい深い。ニヒルな農林水産省の冷食捜査官なんてあんまり思いつかない。

登場人物も犬だったり、とろけたり、腕が絡まってたり、前に見た話では口真似の師匠の顔は○×ゲーム(タテ・ヨコ・ナナメに早く3つ並べた方が勝ちのゲーム)の罫線が引いてあるだけだった。コマが進むうちに○や×が加えられていて、最後のコマの大円団中で弟子が「師匠、お顔上がってます!」と叫んでるのが無性におかしかった。こうやって文字で書いてもきっと伝わらないなあ。読むしかないな。

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