[インタビューズ]ハーズ実験デザイン研究所 ムラタチアキさん 3/4

[インタビューズ]ハーズ実験デザイン研究所 ムラタチアキさん 3/4

ハーズ実験デザイン研究所 ムラタチアキさんへのインタビュー第3回(全4回)です。

デザインの基本を知らずに受けた採用試験

夏期研修は美大や芸大の人と一緒に受けたんですか?

ええ。最初は紙を配られて、定規で三角に折って各自名札を作ることになりました。教室を移動したときも席の前に置いて、名前がわかるようにするためです。「明朝体でレタリングしてください」と声がかかったら、みんな何も見ずに明朝体で描き始めている。僕は呆気にとられていて何のことかわからない。明朝体が何かも知らなかったんです。

そこで監督している市川さんが、僕が特別な参加者だと知っていて、小声で「どうした?」と聞いてくれて。僕が「明朝体って何ですか」と聞いたら見るからにびっくりして「ちょっと待ってて」と。しばらくしたら新聞紙を持ってきて「この中から自分の名前の字を探して、まねて描け」と言うんです。

だからみんなが必死で描いているときに一人だけ新聞を広げて見てる(笑) 気持ちは焦って探しているんですよ、自分の明朝体の字を。でも見た目はこうだから、あとで「早々と終わって、一人だけ新聞を読んでいるすごいやつがいた」と伝説になっていました。

この夏季研修後に内定がもらえたんですか?

いえ、選考では落ちてしまいました。エンジニアなら採用できると言われましたが、デザインをやりたい気持ちがかえって強くなったので、専門学校でちゃんと勉強してから受け直したいと伝えました。

もうあきらめて美術部の夏合宿に出ていたら、旅館に三洋電機から電話がかかってきたんです。「君は美術をやっていると聞いたのでもう一回面接をしたい。絵を持ってきてくれ」と。みんなは僕が落ちたのを知っていたので、この電話のことを報告したらみんなで2度目のチャレンジを祝ってくれたんです。まだ受かったわけじゃないんですけどね。

それまで描いていたのは120号(2m×1mほどのサイズ)中心の大きな作品ばかりだったので、面接用の絵は合宿後に描きました。ヌードモデルは呼べないのでグラビア雑誌を買ってモデル代わりにしたり。そのほか風景画なんかも持って、面接に臨みました。

二回目の選考はどんな感じだったんですか。

デザインセンターの錚々たる重鎮がずらっと並んでいるところで、絵を見せました。三洋のデザインセンター顧問は当時日展の理事長をやっていた富永直樹さんという方で、インダストリアルデザインの祖として著名な彫刻家です。

僕はここで大きな失敗を2つやりました。まず富永さんに「どうして三洋電機を志望したのか」と聞かれて「ユーザー目線で三洋製品を見ると格好が悪い、三洋のデザインなら自分でも良くすることができると思った」と答えてしまったんです。藤井さんという人だけ大爆笑したんですが、あとの方々は笑ってなかった。そりゃそうですよね、自分たちのデザインが否定されてるんですから。

もう1つ「デザインという仕事は一生やっていきたい、三洋電機で学ばせていただいて早く独立したい」とやってしまった。

でも風景画は評価されました。当時、長崎には親父の実家がありました。久しぶりに市内観光をした折に訪れた港。造船所が小高い山から見えて、そこに夕陽が落ちていく様子を目に焼きつけたのを、思い出して想像で絵に描いた。長崎出身の富永さんは一目見て「これは長崎だね」と見抜きました。でも「なんか違うよね」と。実は思い出して想像で描いたと言ったら目を丸くして驚かれました。この面接から数日後、デザイン部に採用すると電話がありました。

でも実はこの面接には理由があったんです。僕の担当教授であった兼松先生がわざわざ杖をつきながら三洋本社まで行って「あいつは美術の素養があるからもう一度チャンスをください」とお願いしたというんです。落ちたのにもう一度面接があった訳は、実は兼松先生の尽力のおかげだったのです。

僕は入社後に初めて松岡さんからそれを聞き、お礼を自分のデザインした商品で返すということを目標に頑張ったのですが、そのチャンスも活かせず、結局お礼を言う前に先生が亡くなってしまったのです。挨拶をしたのは、兼松さんのお墓でした。それだけが心残りです。(続く)

ムラタチアキさんインタビュー  /  / 3 / 

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