何かが欠けている人の競技ではなくて、やっぱり何かが凄い人の競技

何かが欠けている人の競技ではなくて、やっぱり何かが凄い人の競技

錦織圭選手の活躍でテニスが注目されています。実は車いすテニスの国枝慎吾選手も7日の全米オープン車いすの部男子シングル優勝、女子シングルも上地結衣選手が優勝しています。

国枝と上地が優勝 全米・車いすテニス–NHKニュース

結果を見るとむしろ錦織選手を上回っているのにあまり報道されません。SNSでもその点を指摘する人が多いようです。

オリンピックとパラリンピック、健常者と障害者の話ではいつもモヤモヤします。障害者スポーツという括りがありますが、果たして「障害者」と冠をつけてしまっていいのかどうか。

車いすテニスは「足の不自由な人のスポーツ」と思われていますが、本当にそうなのか。私は、実質的には「車いすと腕力を駆使するスポーツ」なのだと考えています。

下肢の機能に何かが欠けている人のスポーツではなくて、上肢に特別なスキルを持っている人のスポーツ。そう考えたとき「障害者」という括りも正しいのかわからなくなります。

詳しい規定は知らないのですが、個人的には下肢の機能に関係なく誰でも車いすテニスに参加してもいいと思うんですよね、いわゆる健常者の人でも。この健常者の括りもパッとしないんですけど。

ただ、車いすの扱いは日常で使っている人のほうが長けているし、腕力もついている。その点でいわゆる健常者の人は車いすテニスでは不利です。

でもそれを乗り越えて上肢を鍛えて参加する人がいてもいいと思うんですよ。あれって障害者手帳とか持っている人じゃないとダメなのかな。

盲目の人のサッカーでも、あれは聴力や嗅覚、空気にある気配を読むのが長けている人たちのスポーツ。だからいわゆる健常者の人も厳密に見えない状態であれば一緒に参加してもいいはず。ただ日常的にその感覚を磨いている人たちには敵わないというだけで。

だからオリンピックのテニスの1種目に車いすが混ざるように、今パラリンピックでやっている競技もオリンピックに種目立てしていいと思うんですけどねえ。何でないんだろう。

もし一輪車テニスとかスケートボードテニスとか、アイススケートテニスみたいなのがあったとしたら、たぶん両方のスキルを駆使する選手として取り上げるはず。車いすもそれに近いんじゃないかと思うんです。

社会制度や日常生活では健常者と障害者は分ける必要があるとしても、スポーツの世界にそれは要らないのでは。

さっき読んだスポーツジャーナリストの二宮清純さんの記事でも純粋な競技として捉える話が載っていました。

何かが欠けている人たちのスポーツではなくて、やっぱり何かが凄い人たちのスポーツ。障害者という名前をつけなくても十分身体能力の高さを競えると思います。

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