世紀末に読んでいた99冊 その5

世紀末に読んでいた99冊 その5

「10冊読んだらレビューをアップしていい」という縛りを自分にかけていた95年〜98年ごろのレビュー第5弾です。年齢にすると23歳〜26歳くらい。記述は当時のままです。今回は『日本人はなぜ英語ができないか』『8時だよ! 全員集合伝説』など。今読み返したら印象変わりそうな本が多いです。

41 アジア 新しい物語 野村進・文春文庫

アジア新しい物語 (文春文庫)

日本だったら、まあいい大学を出て一流企業に就職して、いい結婚をしていい子供産んで、みたいなのが王道だと思う。ある意味そんな日本的な道筋から外れて、アジアの国々で自分の力で経営を興して生活している人の話。9人分。

コネや企業の肩書きは通用しない。全部自分の力でやって信用してもらうしかない。
日本で店なり会社なりを興すよりも苦労は多い。それは容易に想像が付く。違う習慣、違う法律、うまく意思の伝達が出来ない従業員との関係。それでもみんなその国に根ざして「ここでやっていこう」と思う。やっぱりそこにいる人たちを好きにならないことにはやっていけないよなあ。

慣習でいえば、同じ仏教でも日本の仏教とカンボジアのそれとは異なる。浸透の仕方も比べものにならない。持たざる者は持てる者から慈悲をもらうのが当たり前、と考える風潮があって、日本的な「恩を徒で返す」「礼儀をわきまえない」という常識が通用しなかったりする。でもカンボジアではそれが日常。インドで柔道を教えている人もいれば、中国で花を作っている人もいる。もう一つアジアで生活する理由があるとすれば、「そこに居場所を見つけた」ということかもしれない。

42 ゼロの焦点 松本清張・新潮文庫

ゼロの焦点 (新潮文庫)

読んでいそうで読んでなかった。新婚一週間で失踪した夫を捜して、妻が前任地に赴く。探し当てた夫の姓はなぜか違うものだった。次々に関係者が殺されていく。そこから浮かび上がってくる夫の陰の生活と過去。

結構厚い本で、読みごたえがある。謎が謎を呼んで、伏線張られまくりで、どうしてそうなったのか知りたくてどんどん読み進めてしまう。最後にきれいに集約される。清張の小説はそうなることが分かっているから安心してのめり込めるような気がする。たまに、面白くて読んでいっても最後に「ええ?」と思ってしまって読んだ時間が虚しく思えるときもある。清張にはそれがない。

ただの謎解きだけではなくて、人間のドラマも納得できる形で置いてある。勿体ないのは時代が少し古くて、その時代で得るはずのニュアンスが捉えきれないこと。たぶんこの小説が書かれた昭和32年ならまだ戦後の生活が遠いものではなくて、登場人物の境遇にも今よりもっとリアリティがあったはず。時代に即した部分は時代を離れてしまうとネックになってしまうのだな。

43 ヒトかサルかと問われても 西江雅之・読売新聞社

ヒトかサルかと問われても―“歩く文化人類学者”半生記

読み始めは「私はこんなにヘンな人間です」と自己申告している感じが鼻について、馴染めなかった。でも体験したことを書いてある部分は文句なく面白かった。

著者は昔から他言語に興味を持って、アイヌ語やスワヒリ語、もちろん英語やフランス語、中国語もマスターしている。早大時代にアフリカ縦断を敢行している。まだ日本では海外に行くこと自体が珍しい時代だった。

主にそのときの思い出が書かれている本。面白い人間というのはどこに行ってもいるのだなあと思った。それぞれの風習によって考え方や環境が違って、そこに著者という異分子が入り込むと予想しない波紋が広がっていく。

その「予想しない波紋」がどうして生まれるのか。こちら側からは予想しなくても、あちらの国の習慣や宗教や考え方からは当たり前の反応であることが多い。著者は言語を習得すれば他国の人間には伝わらないニュアンスを知ることが出来るのでは、と思って語学に精を出したらしい。

たとえば日本の「八百屋」は800もの商品を売るようなイメージがあるが「八百屋」は「やおや」である。フランスでは同じ商売の人を「四つの季節を売る商人」と表現する。他国の人間が「なんて詩的な表現なんだろう」と思っても、フランス人にとってそれはただの「やおや」でしかない。そういうギャップが面白い。

まだ自分には知らない世界がたくさんあって、知らない人がたくさんいる。読んだらすぐに旅行に行きたくなる本。

44 日本人はなぜ英語ができないか 鈴木孝夫・岩波新書

日本人はなぜ英語ができないか (岩波新書)

なぜなんだ。学校教育にも触れながらその問題点に迫っていく本。

教育で英語を教えようとしたのは明治の頃。新しい文化を取り入れて追い付かないといけない。受信中心で、受信するための手段として英語は不可欠だった。でも今は違う。外国から何かを吸収するためとは限らない。もっと言ってしまうと明治の頃ほどの必要性はなくなっている。なのに惰性で教育カリキュラムの中に英語が居座っている。

英語が出来ることがステイタスに繋がっているだけで、本当に必要な人は少ない。著者は必要な人だけ学べばいいのでは、とまで言っている。それは正確な翻訳が出来るほどきっちりとした英語文法や用法を学ぶ人は限られていていいのでは、ということ。他国の人とコミュニケーションを取るための会話は、そこまで厳密な規則に縛られていない。

日本人は完全にマスターしようとして自分の首を絞めていることが多い。でも英語が母国語ではない他の国の人は、多少の間違いにはとらわれずに話している。ある程度のお国訛りは公認されている。公用語としての英語は英米語とも違って、もっと広い。

著者の体験から、英語が母国語ではない人間同士が会話するときはお互いに分かりやすい単語を選んで話すのに対して、英語が母国語である人間は早口でまくし立てたり、難しい言い回しを(時にはわざと)使って、出来ない人間を低く見る傾向があるという。それは興味深いな。

日常で使う機会があって、単純な言葉でも「通じる」ということが分かったらみんな話せるようになる気がする。今はぺらぺらの人しか見える場所にはいないから。

45 日本の黒い霧(上)松本清張・文春文庫

日本の黒い霧〈上〉 (文春文庫)

タイトルだけは知っていた。てっきり『宴のあと』のように一つの事件を小説に直して読ませるものだと思っていた。どこかの汚職事件なんかを題材にして。実際は全然違っていて、ノンフィクション。清張自身が資料を集めて迷宮入りといわれている事件の全貌を解こうとしている。

警察から取り寄せた調書や死体検案書も詳細が載っていて、あまりの詳しさになかなか読み進めることが出来なかった。造りものではなくて本当に生きていた人がこういう目に遭ったんだと思うと息が詰まりそうになる。

「下山事件」もあらましと疑惑(GHQの共産党つぶしのための陰謀説)は知っていたけれど、こういう根拠か、というのは初めて知った。たぶん今まで続いている疑惑の元を辿れば清張のこの本に行き着くんだと思う。発表当初の60年代はどう思われてたのかな。唐突な説に見えたのか、みんな薄々そう感じていたのか。

「昭電・造船疑獄」なんて戦後史でちらっと見たくらいで中身は全然分からなかったけれどどういう事件なのか分かったし、「もく星号墜落」もどのへんが怪しさの元なのか分かった。GHQの権力は今では想像できないくらい強かったんだろう。

どちらかというと上巻はメジャーな事件が多く取り上げられていた。下巻も読もうと思ったけれど、名前さえ初めて聞くような事件が多いのでまだ開けずにいる。

46 まんがの逆襲―脳みそ直撃!怒涛の貸本怪奇少女マンガの世界 (光文社文庫)

貸本業界がまだ存在していた頃、さまざまな迷作・名作が生み出されていた。書店のルートには乗らなくても人気のある作家にはファンレターが殺到していたという。

この本には著者が独断と偏見で選んだ作品のいくつかが実際に掲載されている。貸本の匂い、のようなものが読みとれる。シュールあり、哲学あり、ホラーあり、SFあり。どこかデッサンの狂っている絵柄と相まって、不思議な雰囲気が出ている。今それなりの知識を持った頭で読んでも「??」という世界が描かれている。ってえことは純真無垢な小学生が読んだらあまりの分からなさにトリップするかもしれない。

作家先生独特の世界観により現実と空想が入り交じるストーリー、複雑にしすぎたために最後の2ページが説明の長ゼリフで文字だけになってしまっている話、正体を明かすのかと思いきや「わーこわい、何者なんだろう」の主人公のセリフだけで先に進んでしまうミステリー等など。著者はそのいい加減さを心底愛している。

47 買ってはいけない 『週刊金曜日』別冊ブックレット2

買ってはいけない (『週刊金曜日』ブックレット)

買ってしまいました。環境ホルモンやら汚染やら、いろいろあります。確かに商品にも使われている。真っ向からそれを指摘したのはえらい。

でも何だか腑に落ちないというか。正論ではあるけれど、きれい事すぎて怖い感じもちょっとする。大量生産が出来なければ安い値段で手元に届かない。大量生産するにはある程度の薬品の助けが必要になる。その程度が過ぎれば問題になるけれど、そのために規制がされている。まあ、この本はその規制自体も企業寄りで信用できないというけれど。
結局は自分で注意するための喚起本。それ以下でもそれ以上でもない。

48 8時だよ! 全員集合伝説 居作昌果・双葉社

8時だョ!全員集合伝説 (双葉文庫)

うちは昔から「ドリフ禁止」だった。下品なギャグや物を粗末にするやり方が親の教育方針とは著しくかけ離れていて、許してもらえなかった。きっと最初は見たいと思っていただろうけどそのうち自分も馴れてきて、見たいとは思わなくなった。今でもスペシャル番組があっても見ようとは思わない。

その代わり最近クローズアップしてきたドリフの面々の個々の活動には興味がある。ただどうしようもないギャグをドタバタとやっていただけのように思っていたけれど、それぞれに考えがあって、やりたい方向がある。今は個人で動けるけれど『全員集合』を毎週やっていたときはそうもいかない。現場でぶつかりあっている。

その頃の裏話を当時の担当プロデューサーが振り返ったのがこの本。低視聴率であえいでいた日曜8時の枠を任せる。クレージーキャッツはスターになり、スケジュールの調整もままならない。そこそこ売れていてそこそこ空いていたコミックバンド、ドリフに白羽の矢が立ったらしい。放映当初はトークやクイズのコーナーもあったが、不器用な長さんには場を切り盛りするという役割が重すぎて、コントに重点を置くようになった。

毎週コントを作りセットを考え、ゲストを含めて稽古をして、7時半から前説を入れて盛り上げ8時から生放送する。テレビの生放送というよりも舞台中継に近い感覚だったらしい。場のお客さん第一。それを16年。その間にメンバーの不祥事や停電騒ぎが起きたり、スタッフとの衝突があったりする。裏の人間模様が読んでいても面白いところ。

それを知るとドリフの見方もちょっと変わる。でも、やっぱりあの笑いは馴染めないかもなあ。

49 男の背中 山下勝利・河出書房新社

男の背中

週刊朝日に連載されていたインタビュー記事をまとめた本。インタビュアーが「この人に話を聞きたい」とオファーを取り付けて、生い立ちから現在までの話をまとめてある。ただ本人の話を括弧で抜き書きしたのではなくて、インタビュアーが自分のフィルターを通して、この男はどんな人間なのだろう、と考察している内容。

タイトルが『男の背中』だけあって、話を聞いたのは鹿賀さんをはじめ、西岡徳馬や山城新伍、中村勘九郎、小林稔持、伊東四朗、山崎努等々、歴史を背負っていそうな男性著名人30人。読みごたえがありました。それぞれポートレート風の写真も2枚ずつ載っている。モノクロだから余計に味がある。

今まで知られている通りいっぺんの話だけではなくて、そのとき何を思ったのか、どう影響しているのかという話も深く突っ込んで聞いている。鹿賀さんの場合も小学生の時のことや中学生の頃の話も出ていて初耳ものが多かった。時間をかけて対峙しないと、こういうのは無理なんだろうな、きっと。

50 不機嫌な果実 林真理子・文芸春秋

不機嫌な果実 (文春文庫)

映画と原作を比べてみようと思って読み始めた。この人は女性のコンプレックスを巧く突いてくる。「私だけ損をしている」と思っている人はこの日本にそれこそ何十万人、何百万人といるだろう。主人公はなるべく損をしないように立ち回って、自分の人生を充実させたものにしようと思うのだけれど、結局は叶わない。

映画では官能的な部分を強調してあったけれど、原作では、まあ描写が結構具体的な部分があるにしろ、どうして主人公がそういう行動に出ざるを得なかったのかに重点が置かれている。旦那も愛人もいる女性が精神的に満たされずに、新しい男にのめり込んで行く過程。

でも何だかんだ言って主人公は流されている女性。何となく「こっちよりもあっちの方がいいなあ」と思っていて、たまたまそちら向きの流れを見つけて乗っかっていって、流されてみたら「やっぱり元にいた方がよかった」と後悔する。欲望があるけれど、損をしたくないだけで具体的にやりたいことがあるわけではない。その辺が感情移入をしにくいところのような気がする。少なくとも自分の場合は。

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