2カ月という超短期の専業主婦期間に考えたこと

NO IMAGE

今日のNHK『あさイチ』は「釣り?」と思うほどベタベタの専業主婦願望を持った女性を登場させる刺激的な内容でした…。思えば新婚の頃、2カ月という超短期ですが私も「専業主婦」だった時間があります。どうして今のような状態になったのか、どうしてそれを選んでいるのか、改めて振り返ってみました。

見本が自分の母親であるのは否めない

結婚後の生活を想像したとき真っ先に浮かぶのはやっぱり自分の母親です。「こうするものなのか」という刷り込みは自然と行われています。

母親は18歳で銀行に就職して、その後に会計関連の事務所、一般企業と転職してから結婚しました。弟が中学を卒業するまではたまに内職したりパートに出つつ主婦生活。そういえば「専業主婦」の定義ってどうなんでしょうね。どこかの社員になってない、フリーランスでもない、家計の大黒柱としては働いていない、という意味で言えば母は結婚してからずっと「専業主婦」です。

子どもから手が離れたら教習所へ通ってマニュアルの運転免許を取りました。通信教育で医療事務の資格も取って、50歳前くらいから月のまとまった期間に病院に通い医療事務の仕事をしていました。フルタイムで働いている人に比べると「専業主婦」の枠から出ていないかもしれません。母は亡くなるまでこの生活でした。

その姿を見ているので、何となく「結婚するまでは仕事を持って、子どもができたら子育てに集中、手が空いたらまた働くのもあり」という感覚でいました。

結婚後、縁もゆかりもない関西に引っ越し

結婚前は無職(ひと昔前なら家事手伝い)。派遣社員でフルタイム勤務をしていましたが、結婚直前に語学留学に行くためその仕事を辞めたからです。帰国後に準備をして新居へ移りました。

主人の仕事の関係で関西から新婚生活がスタート。親戚も友達もみんな関東だったので、周りに知り合いが誰もいません。交通機関はまったく馴染みがなく、地理感覚がゼロ。「大阪」と「梅田」は違う場所と思っていたし「キタ」と「ミナミ」はそういう地名があると思っていました。

ここから2カ月だけ「専業主婦」でした。

社会から遮断されている感覚

初めの頃は家事のリズムを覚えたり荷物を片付けたり、それなりにやることがあって時間が潰れました。それが一段落すると、途方にくれました。趣味で料理をするとか、子どもに構うとか、何か材料があればよかったかもしれません。

出かけようにも大阪の中心に出るまでの運賃が高く、一人で遊びにいくという気持ちになりません。友達がいないので一緒に行く人もいない。入ったマンションは自治会の類がないので回覧板もご近所さんと出会うきっかけもない。せいぜい子連れの数人とすれ違うくらいです。

昼間は口を開けて声を出す機会がほどんどなく、発言してもクリーニング屋のおばちゃんと「今日はいい天気ですね」「そうですね」の1往復しかない日がありました。まだ生活サイクルがわからないうちに自分の趣味のために財布を開けるのはためらわれて、近所だけウロウロしていました。

「2カ月だけ専業主婦だった」とツイートしたら「2カ月しかやっていないからだ」という話がありましたが、コミュニケーションの取っかかりがどこにあるのかわからないまま過ごす生活は、私にとって2カ月が限界だったということです。

今考えれば近所にボランティアに行くとか、何かコミュニティに参加するとか、家事を極めるとか、ネットでお小遣い稼ぎをするとか、方法はいろいろあったかもしれません。でもその頃はブログやSNSでリアルの人々とつながることも知らなかったし、何より自分が何者なのかよくわからなくなっていました。

今まである場所に所属して家族以外の人たちに「認識」されていたのに、家の中で「社会的にいてもいなくてもいい存在」になったような気がしたのです。もちろんスーパーに行けば消費者として歓迎してもらえるし、家では役割があります。でも外で「私個人」として動いていた感覚が懐かしくなりました。

大阪の地理を覚えるためにも何かしら外に出るきっかけがあったほうがいい。なので今までの仕事を生かせる校正のアルバイトを探して、ちょっと遠かったのですが通うことにしました。

「働く」ということは「朝○時からこの中にいてもいいよ」と言ってくれる人や、スキルを必要としてくれる場所があるということ。行きの電車に乗りつつ、家以外で存在を許される大きさを噛み締めました。大げさかもしれませんが、当時の私にはそれくらい画期的なことだったのです。

うちの母親も結婚直後、縁もゆかりもない長野県で生活をスタートさせて悶々とした日々を過ごしていたそうです。それでも私が生まれて「すること」ができて、気持ちが楽になったとのこと。今ならわかる気がします。

今でも母親のスタイルは頭に残っている

校正のアルバイトのあとは、フルタイムの編集の仕事を見つけて3年ほど派遣社員として勤めました。その後フリーになって今に至ります。

編集で働いているときにブログやSNSの使い方を変えて、以来、交流のきっかけにしています。おかげさまで年々人とのつながり方が多岐にわたるようになりました。ネットはやっぱり便利ですね。状況によって閉じることを選んでもいいし、開くことを選んでもいい。結婚したときに知っていたらきっと違う生活になっていたでしょう。

主人は「私が働いても働かなくても好きなほうで」というスタンスです(本音はどこにあるかわからないけれど)。私の中に母親のスタイルはずっと残っていて、これから子どもができたらきっと仕事をセーブして育児に時間を割けるようにすると思います。手が離れたらそのときにできることを探すはず。母親がそうしていたように。

ひょっとしたら再び「専業主婦」と呼ばれる生活になるかもしれません。

「専業主婦」と「フリーランス」、どちらの名前がついたとしても元は私個人。「この看板を掲げている人はこういう活動をしてはダメ」というルールはありません。今後は応用範囲をつかんだぶん昔よりも自由に生活を決めていくと思います。

「聞き方」を動画で学べる!

CTA-IMAGE 現役ライターが使っている「聞き方」をUdemyで学べるようになりました。仕事だけでなくプライベートでも応用可能。自転車や水泳のようにコツをつかめば一生使える「聞き方」です。

Udemyの場合、講師も知らないところで割引されていることが多いので、気になる方はチェックしてみてください。