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本気で「環境問題」を解決したかったら。

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丘村です。→うちの本業はこちら
もし本気で「地球環境」を改善したいなら、人類がいなくなってしまうのが一番手っ取り早い。

他の生物を圧迫するほどに数が増えて、地球の空気や土壌にも桁外れの影響を及ぼす。ヒトがいなくなれば、他の生物はきっと自然と折り合いをつけながら長く生き延びていくはず。ヒト出現前がそうだったように。
ただ、自分たちは人類として生まれてしまったので自己否定をするわけにもいかず、何とか生存しながらうまくやっていく方法を見つけるしかない。
そう考えたときに、いつもちょっと引っかかるのが最近の「ヒトが地球や環境を救う」とか「私たちがやらなければいけない」という視点。
「私たちが生き延びるために」、「私たちがやらなければいけない」のは当たっていると思う。まあエゴだけれど、どんな環境活動も突き詰めればそういうこと。「自然や環境を大切に」するのは、人類が生き続けていくため。
どうしてそんなことを思い出したかというと、先日見たウミガメの番組にやはり少し違和感を覚えたからだった。
活動をしている人は活動をしていない人よりも、えらいと思う。ゼロではなく、1,2をやっている人はゼロよりも行動力も思考も先を行っている。
でも「彼らがいないと救えない」というのはどうなんだろう。人類が一番えらくて、「下々の」生物たちを「救ってあげる」のは人類の役割なんだろうか。
たぶん、地球から見ればウミガメもヒトも対等で、誰かが救ったり救われたりするのは非常に小さなこと。地球が自浄作用を働かせようと思ったら、そんなものはひとたまりもなくなる。
ウミガメはその辺のことを承知で、地球の変化に合わせながら産卵する場所を変えたりしているのだと思う。たとえ自分たちの数が減ってしまう結果になるとしても。そこまで許容して、地球の変化に逆らわない方法で、自分たちができる目いっぱいの範囲で、子孫を残す努力をする。
人類はどちらかというと、自然と対抗したり、自然を加工したりして、危機を乗り切ろうとする。乗り切れると信じながらそれをやる。
昔、新井素子さんの小説の中で、「二酸化炭素が充満していた時代の地球から見れば、酸素が出現したこと自体が一種の環境破壊」という見方があった。
地球が温かくなっても、地軸がずれても、磁界が変化しても、気象状態がほんの50年前と変わろうとも、人間にとっては大きいけれど、地球にとってはきっと当たり前の変化。それが「破壊」かどうかは人類の勝手な言い分。
人間としては、それを認識しつつ「他の環境や生物の邪魔をなるべくしないようにして、生き延びさせてもらう/生き延びさせていただく」というのが正しいような気がする。
エコがブームだけれど、いまいち乗り切れない三十路の一意見でした。
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