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生物としてのヒトは結構タフである(2)

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前回の続き、「パニック症候群」の克服について。
中学生のとき、一度病院で診察してもらったことがあります。 結局そのときは「自律神経失調症」というくくりで、処方は特になくお医者さんは「気の持ちよう」と結論を出しました。
今なら検査の方法も症例も増えて、何かの病名としてもっとはっきりした答えと薬や治療があると思います。「気の持ちよう」と言われたら怒る患者さんもいるかもしれません。
しかし、このお医者さんの話にも一理あると思いました。
内臓疾患や怪我のように、明らかに検査後に異常が見つかる状態ではない。自覚症状が主なもの。
言い換えれば「身体は大丈夫」ということ。
それを突き詰めると、ある考えに行き当たりました。生命体としてのヒトの身体が、率先して死を選ぶことはないんじゃないか
なぜなら、生物には意識・無意識に関係なく「生きよう」とする本能があります。身体に異常がないなら、その本能もまだ死んではいない。
癌などの疾患があるなら、病気に身体が負けてしまうことがあるかもしれません。でも異常がないということは、「生き死に」を選別するのは頭、人が持つ観念だけです。
異常のない身体が勝手に衰退して「死」に至ることはない。パニックの最中に「死んでしまうのではないか」と思うのは、脳が暴走している結果でしかない。
「死んでしまうのではないか」と思っている時間はとても怖くて長いのですが、何か信じられる柱があれば、意識をうまく外すことができます。
それを、私は自分の「生物としての身体と本能」に賭けました。頭と身体は別物で、身体は頭に関係なく、勝手に「生きよう」とする方を選びます。
「息が止まりそう」→ 身体が空気を取り込まなくなることはない
「心臓がはち切れそうに早い」→ 容量以上の血流は生まれない
「このまま死んでしまうのでは」→ 観念が手を動かさない限り、生物は自死しない
頭が身体を支配できると思い込んでしまうと、頭が暴走を始めたとき自分の身体や生命も駄目になってしまうような気がします。
しかし、頭が思い込んでいるほど「身体」は弱くない。頭とは別に、ヒトは「生物としての身体」、つまりもう一つの拠りどころを持っていて、それは頭のコントロールとは全く違うところで「生」を渇望している。
だからこんなことで死ぬわけがない。だから大丈夫。
「死なないかもしれない」と微かでも思うことができると、パニックのときは解決のきっかけになります。
私は医学も生物学も正式に修めているわけではないので、学問的には間違っている解釈もあるかもしれません。ただ、自分がパニックに陥ってしまったときはこの方法でやり過ごすようにしています。
くり返していると「発作」自体は長くないことがわかります。私の場合、10分、20分、長くても30分を乗り越えれば「死ぬかも」の恐怖はどこかへ行って、普通の生活に戻ります。その間をなるべく辛くないようにするための工夫です。
*****
おぼろげに考えていたことが、論理立てて見えるようになったきっかけの1冊。これはちゃんとした学者さんが書いています^^;

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「脳が身体を支配しているわけではない」
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